東京に298円のお弁当を作っている会社がある。外国産の食材を使い、既製のサラダを並べ、コストの事だけ考える。また、ある手作り豆腐の店の売れ筋豆腐が1丁160円で、材料費と人件費で98円だそうだ。どちらも価格決定権は消費者やスーパーにあるそうで、全く儲からないとの事。

しかし、同じお弁当でも、自家農園の野菜を使い、マヨネーズやパン粉まで自家製造して差別化を図り、味、栄養、安全性を売りに、販売を伸ばしている会社がある。価格は500円からだそうだが、毎日完売状態。

卵は物価の優等生。オートメメで1個20円が相場だが、鶏の飼育環境や餌を研究して、卵アレルギーの子供でも安心して食べられように生産している業者がある。1個100円だが、生産が間に合わない。

安売りは、誰でも出来るので、供給過剰になり儲からない。それよりも二極化で生まれた需要に対して付加価値をつけて供給する方が断然有利だ。

しゃぶしゃぶの木曽路や肉の万世などに行くと、かっぱ寿司では見かけない「ゆとり層」で満員だ。ここでも二極化を肌で感じる。そもそも『着ている物が違う』。高級婦人服に力を入れるデパートも、阪急や伊勢丹の紳士館は高級品を強化している。5万円のカシミヤのセーターも20万円のジャケット隣で、安く感じられる程。しかも盛況だ。しかし、ゆとりで買っても、こうした高級品をクリーニングに出す時、料金は多少高くても商品知識があり、汚れを取って買った時の風合いに戻してくれる業者を求めるはず。高級品や特殊品も受け入れる部門を作って、利益を上げるべき時だ。何も考えず『298円のお弁当』を作り続けるのは楽ではあるが、未来はない。ダーウィンは、「生き残る種は、強い種でも優秀な種でもない。環境に変化に即応できる種が生き残る。」という法則を残している。